普通の会社でもできるヘルスケア事業参入の秘訣医療機器スタートアップと大企業、新規事業の成功確率が高いのはどちらか

先日、ある医療関連サービス企業の社長様とお話しする機会がありました。その方は長年、病院向けの清掃業務を手がけてこられた方です。

「原先生、最近よく医療機器ベンチャーの話を聞きますが、うちのような既存企業が新規事業として医療機器開発に参入するのと、スタートアップが一から始めるのと、どちらが成功する可能性が高いんでしょうか」とお尋ねになりました。

私は少し考えてから、こう答えました。「社長、実は成功の定義によって答えは変わります。ただ既存のネットワークを持つ企業には、スタートアップにはない決定的な強みがあるんです」。社長様は身を乗り出して「それは何でしょう?」と聞かれました。

「現場の本当の困りごとを、誰よりも早く、深く知ることができる立場にいることです。これは、どんなに優秀なスタートアップでも、一朝一夕には手に入らない宝物なんですよ」

スタートアップの華やかさに隠れた現実

医療機器スタートアップと聞くと、多くの方は最先端技術を駆使した革新的な製品開発をイメージされるでしょう。確かにメディアでは、AIを活用した画像診断システムや、ロボット手術支援システムなど、華々しい成功事例が取り上げられます。

しかし、私が実際に支援してきた数多くのスタートアップを見ていると、その裏側には厳しい現実があることがわかります。

まず、スタートアップが直面する最大の壁は「医療現場へのアクセス」です。どんなに優れた技術を持っていても、実際の医療現場でニーズを検証し、製品を改良していくプロセスは欠かせません。

しかし、病院の門を叩いても「忙しいから」「前例がないから」と断られることがほとんどです。仮に話を聞いてもらえたとしても、本当の困りごとまで辿り着くには相当な時間と信頼関係の構築が必要になります。

次に、資金調達の問題があります。医療機器開発は薬事承認まで含めると、少なくとも3年から5年、場合によっては10年近い時間がかかります。その間、売上がほぼゼロの状態で開発を続けなければなりません。

投資家から資金を調達できたとしても、常に次の調達ラウンドのプレッシャーに晒され、短期的な成果を求められます。この結果、本来じっくり取り組むべき製品開発が中途半端になってしまうケースを何度も見てきました。

大企業が持つ見えざる資産の価値

一方で、既存の医療関連サービス企業が新規事業として医療機器開発に参入する場合、スタートアップとは全く異なる強みを発揮できます。特に、長年の取引で培った医療機関との信頼関係は、お金では買えない貴重な資産です。

例えば、清掃業務で日常的に病院に出入りしている企業は、現場スタッフの生の声を聞く機会が豊富にあります。「この作業、もっと楽にできないかな」「こんな道具があればいいのに」といった、現場の何気ないつぶやきこそが、実は次のビジネスチャンスの種なのです。スタートアップがアンケートやインタビューで必死に集めようとする情報が、日常的に転がっているわけです。

さらに重要なのは、既存事業で安定したキャッシュフローがあることです。新規事業は必ずしも初年度から黒字になるわけではありません。むしろ、最初の数年は赤字覚悟で投資する必要があります。スタートアップのように外部資金に頼らず、自己資金で腰を据えて開発できることは、実は想像以上に大きなアドバンテージなのです。

成功確率を高める3つの戦略

では、既存企業が医療機器開発で成功するためには、どのような戦略を取るべきでしょうか。私がこれまでの経験から導き出した、3つの重要なポイントをお伝えします。

第一に、「小さく始めて、早く失敗する」ことです。いきなり大規模な開発プロジェクトを立ち上げるのではなく、まずは既存の医療機器を改良したり、簡単な周辺機器から始めたりすることをお勧めします。例えば、清掃業務で使用する器具の改良から始めて、それが医療現場でも使えるようにブラッシュアップしていく。このアプローチなら、大きな投資をする前に市場の反応を確認できます。

第二に、「パートナーシップを活用する」ことです。技術開発のすべてを自社で行う必要はありません。むしろ、既存企業の強みである顧客ネットワークと、技術系スタートアップや大学の研究室が持つ技術力を組み合わせることで、お互いの弱点を補完し合えます。既存企業が現場のニーズを提供し、市場開拓を担当する一方で、パートナーが技術開発を担当する。このような分業体制は、実は多くの成功事例で見られるパターンです。

第三に、「既存事業とのシナジーを追求する」ことです。全く新しい分野に飛び込むのではなく、現在提供しているサービスの延長線上で考えることが重要です。例えば、病院の清掃業務を行っているなら、院内感染対策に関連する製品開発は自然な流れです。リネンサービスを提供しているなら、患者の快適性を高める医療用繊維製品の開発も考えられます。このように既存事業との関連性を持たせることで、顧客への提案もスムーズになり、社内の理解も得やすくなります。

成功の定義を見直す時

ここまで、スタートアップと既存企業の違いについて述べてきましたが、最後に「成功」の定義について考えてみたいと思います。スタートアップの成功は、しばしばIPOや大企業への売却といった華やかな出口戦略で語られます。しかし、既存企業にとっての成功は、必ずしもそうではないはずです。

既存企業にとっての医療機器開発の成功とは、既存顧客との関係をより深め、提供価値を高めることで、長期的に安定した収益基盤を築くことではないでしょうか。派手さはなくても、着実に顧客の課題を解決し、信頼関係を強化していく。このような地道な成功こそが、実は最も持続可能で価値のあるものだと私は考えています。

医療機器開発への参入を検討されている企業の皆様には、スタートアップの華やかさに惑わされることなく、自社の強みを活かした独自の成功モデルを追求していただきたいと思います。長年培ってきた顧客との信頼関係、現場の課題を深く理解する力、そして安定した経営基盤。これらはすべて、新規事業を成功に導く貴重な資産です。

むしろ、これからの医療機器市場では、技術力だけでなく、現場のニーズを的確に捉え、着実に製品化していく力こそが問われるようになるでしょう。その点で、既存の医療関連サービス企業には、スタートアップ以上の可能性があると私は確信しています。新規事業への挑戦は決して簡単ではありませんが、適切な戦略と着実な実行により、必ず道は開けるはずです。

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