普通の会社でもできるヘルスケア事業参入の秘訣#47 医療リアルワールドデータ活用の課題と可能性

こんにちは、ヘルスケアビジネス総合研究所の原です。

「原先生、弊社でもリアルワールドデータを活用したいのですが、社内でなかなか理解が得られないんです。データ分析に費用をかける価値をどう説明すればいいでしょうか?」

先日、医療機器ベンチャーの経営者からこんな相談を受けました。実は、同様の悩みを抱えている企業は少なくありません。医療ビッグデータの活用は世界的なトレンドですが、日本企業での実装は思うように進んでいないのが現状です。

日本製薬工業協会が2025年5月に公表した報告書によると、製薬業界でもリアルワールドデータ(RWD)活用の最大の課題は「社内でRWDの価値・有用性を示しにくい」ことだと明らかになりました。

今回は、この報告書から見えてきた知見と、実際の活用事例を通じて、医療ビッグデータ活用の課題と可能性について考えてみましょう。

リアルワールドデータとは何か

リアルワールドデータ(RWD)とは、日常の診療で生成される医療データを研究や開発に二次利用するものです。電子カルテ、レセプトデータ、患者レジストリなど、実際の医療現場で蓄積される情報を指します。

重要なのは、これらのデータが「研究目的で設計されていない」という点です。日々の診療記録をそのまま活用するため、データの標準化不足、欠測値、医療機関ごとの記録方法の違いなど、多くの課題を抱えています。

しかし、だからこそ価値があるのです。管理された臨床試験では見えてこない「現場の真実」が、RWDには隠されています。

なぜRWD活用が進まないのか-3つの壁

製薬協の報告書では、臨床開発、Medical Affairs、市販後安全性、HEOR/HTA(医療経済評価・医療技術評価)の4分野すべてで共通する課題が浮き彫りになりました。

第1の壁:投資対効果を説明できない

「データベース利用に多額の費用がかかります」と上申しても、「それで売上がいくら増えるの?」と聞かれて答えに窮する。これが最も大きな壁です。

RWDは意思決定の「補助情報」に過ぎず、直接的な売上貢献を数値化しにくいのです。新薬開発の方向性決定には役立つでしょうが、その価値を金額で示すのは困難です。

第2の壁:組織体制が未整備

RWD活用には、データサイエンス、医学統計、薬事規制、臨床知識など、多様な専門性が必要です。しかし、多くの企業では「誰が主導するのか」「予算はどこから出すのか」「どんなプロセスで進めるのか」が不明確です。

報告書では「RWDを扱う担当者の責務や関連業務への他部門の理解が確立しておらず属人的対応となるため、部門間調整に時間を要する」という課題が指摘されています。

第3の壁:目的によって求められる品質が異なる

同じRWDでも使用目的によって重視する点が全く異なります。薬事申請ではデータの信頼性を最重視しますが、市場調査ではスピードとカバー率を重視します。この違いを理解せずに画一的なアプローチを取ると、目的に合わないデータ活用となってしまいます。

成功事例から学ぶ-政策効果の「見える化」

では、RWDはどのような場面で真価を発揮するのでしょうか。製薬協の報告書から、2つの優れた活用事例を紹介します。

事例1:過活動膀胱の疾患啓発キャンペーン効果の検証

2011年11月から12月にかけて、過活動膀胱に関する大規模な疾患啓発キャンペーン(DTCI-campaign)が実施されました。テレビ、インターネット、印刷媒体を使った啓発活動の効果は果たしてあったのでしょうか?

JMDCのレセプトデータ(2010年11月~2013年11月)を用いた分析の結果、キャンペーン後は前と比較して治療薬の初回処方が約7倍に増加したことが明らかになりました。さらに、新規診断症例も増加し、キャンペーンが短期的にも長期的にも処方行動に影響を及ぼしたことが示されました。

(出典:Zaitsu M, et al. BMC Health Services Research. 2018; 18: 325.

事例2:肺炎球菌ワクチンによる中耳炎への影響

2010年2月に7価肺炎球菌ワクチン、2013年11月に13価ワクチンが導入されました。これらのワクチンは中耳炎の予防に効果があったのでしょうか?

JMDCのデータ(2005年1月~2015年12月)を用いた分析では、興味深い結果が得られました。急性中耳炎の発症率に有意な減少は見られなかったものの、鼓膜切開術の実施件数は著しく減少していたのです。

つまり、ワクチンは中耳炎の発症自体は防げなかったものの、重症化を防ぐ効果があった可能性が示唆されました。

(出典:Sasaki A, et al. Auris Nasus Larynx. 2018; 45: 718-721.)

これらの事例の共通点は、「政策やキャンペーンの効果を客観的に評価できた」ことです。ちなみにこの当時、私は日本で中耳炎診療をリードしていたある病院に臨床医として勤めており、実際に肺炎球菌のデータ取得をしていたのですが、2010~13年を境にして起炎菌、薬剤耐性の度合いがドラスティックに変化したのを記憶しています。従来の手法では困難だった大規模かつ長期的な効果検証が、RWDによって可能になった意義を身をもって体験していました。

解決への道筋-早期の相談がカギ

では、どうすればこれらの壁を乗り越えられるのでしょうか。

報告書の医療DB協会との座談会で、興味深いやり取りがありました。「企業側で仕様を固めてから相談に来られても、実はそのデータは取れないことが多い。根本的に何を知りたいのかを早期に共有してほしい」

つまり、解決策は意外にシンプルです。目的を明確にして、適切な相談先に早めに相談する

相談先は目的によって異なります。市場調査ならJMDCやMDVなどの民間事業者へ。薬事申請での活用ならPMDAのレジストリ活用相談へ。多くの事業者では、実現可能性の確認(フィージビリティチェック)は無料とのこと。

「○○病で△△薬を使っている患者の□□を調べたい」と細かく定義するより、「この疾患の治療実態を知りたい」という根本的な目的を伝える方が、実は良い結果につながる。専門家は、その目的に最適なデータと分析方法を提案してくれるからです。

社内で悩むより、まず相談。これが、RWD活用の第一歩なのかもしれません。

医療機器開発への示唆

ここまで主に製薬業界の事例を見てきましたが、医療機器開発においても同様の課題と可能性があります。

医療機器の場合、機器の使用ログデータは比較的容易に収集できますが、それを患者の臨床情報と紐付けることに課題があります。また、医療機器は「誰が」「どのように」使うかで結果が大きく変わるため、使用者要因も含めたデータ収集・分析が必要になります。

一方で、医療機器は改良・改善のサイクルが医薬品より短いため、迅速なフィードバックが求められます。この点でも、RWDの活用価値は高いと言えるでしょう。

まとめ-データ駆動型ヘルスケアへの転換

過活動膀胱や中耳炎の事例が示すように、RWDは「見えなかった現実を見える化する」強力なツールです。医療機器開発においても、市場での実使用データを分析することで、より患者さんのニーズに合った製品開発が可能になるでしょう。

RWDの活用は、技術的な問題以上に組織的・文化的な課題が大きいことが製薬協の報告書から明らかになりました。

RWDは単なる「追加コスト」ではなく、より良い製品開発のための「投資」です。真に患者さんに価値をもたらすヘルスケア製品・サービスの開発に向けて、データ活用の第一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。


出典・参考資料

  1. 日本製薬工業協会 医薬品評価委員会 医療情報DB活用促進TF(2025)「RWD及びRWE活用のための課題整理と優先順位付けラウンドテーブル報告書」 https://www.jpma.or.jp/information/evaluation/results/allotment/eo4se3000000axb5-att/DBTF_202505_RWD_RTR.pdf
  2. 日本製薬工業協会 医薬品評価委員会 臨床評価部会(2020)「製薬企業におけるRWDの活用促進に向けて~現状、課題、論点整理、将来展望~」
    https://www.jpma.or.jp/information/evaluation/results/allotment/lofurc0000005k34-att/bd_rwd_sg3.pdf

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