普通の会社でもできるヘルスケア事業参入の秘訣#45 中小企業のためのヘルスケア分野のAI導入戦略

こんにちは。ヘルスケアビジネス総合研究所の原です。
先日、ある中小企業の社長さんと面白い会話をしました。
「原先生、うちの会社もAIを導入すべきでしょうか?テレビでも新聞でも、AIが世界を変えると言われていますが、正直なところ、何から手をつければいいのか分からないんです」。
医療機器製造業を営むこの社長さんの悩みは、おそらく多くの経営者が共感するものでしょう。特にヘルスケア業界では、AIやデジタル技術の導入は単なるトレンドではなく、今後の事業継続に関わる重大な経営判断になりつつあります。
今回は、この社長との対話をきっかけに、中小企業がAIやデジタル技術をヘルスケアビジネスに取り入れる際のポイントについて考えてみたいと思います。
「流行」と「本質」を見極める目
まず最初に、社長さんにお伝えしたのは「流行と本質を見極める目を持つこと」の大切さです。テクノロジー導入は目的ではなく手段であり、自社の課題解決や価値創造につながらなければ意味がありません。
「御社が解決したい課題は何ですか?」という問いかけに、社長は新製品開発のスピードアップを挙げました。これは優れた出発点です。なぜなら、テクノロジー導入の目的が明確だからです。
ヘルスケア業界では今、AIの導入が急速に進んでいます。フィリップスが発表した「2025年のヘルスケアテックトレンド Top 10」によれば、データの縦割りを解消することで、医療提供者が患者の容態変化を予測するためのアルゴリズム開発が進んでいます。
将来的にはAIが患者を何千もの類似ケースと比較し、個々の患者に最適なアプローチを決定する支援をするとされています[1]。また、日本医療政策機構の世論調査では、回答者の51.1%が生成AIの医療応用として医療の効率化に期待していることが報告されています[2]。
しかし、こうした最新トレンドを追いかけるだけでは、本質的な課題解決には至りません。重要なのは自社の強みと掛け合わせ、独自の価値を生み出すことです。
例えば、新製品開発においては、臨床現場の生の声とAIによる大規模な医療データ分析を組み合わせることで、従来では見落としていた患者ニーズを発見し、革新的な医療機器の設計に活かせるようになるかもしれません。
「小さく始めて、大きく育てる」アプローチ
「でも、AIって高額な投資が必要なんじゃないですか?」という社長の質問に対して、私は「小さく始めて、大きく育てる」というアプローチを提案しました。
中小企業にとって、巨額な初期投資は大きなリスクです。しかし、クラウドサービスの発達により、比較的安価にAIツールを利用できる環境が整いつつあります。
例えば、新製品開発プロセスでは、製品設計段階でAIによるシミュレーションツールを導入することで、試作品製作前に複数の設計案の性能予測や最適化が可能になり、開発時間とコストを大幅に削減できます。
社長は「具体的にどんなことから始められますか?」と質問されました。私は次の3ステップを提案しました。
- 現状分析:まず、現在の製品開発プロセスをデータ化し、ボトルネックを可視化する
- 小規模実証:特定の製品開発プロジェクトに限定してAIツールを試験的に導入する
- 段階的拡大:成功体験を積み重ねながら、全社的な開発プロセスに展開していく
「最初から完璧を目指さず、改善を繰り返しながら成長させていくことが重要です」と伝えると、社長は少し安心した表情を見せました。
実際、企業規模にかかわらず、デジタル技術の導入は一朝一夕には進みません。PWCジャパンの調査によれば、ヘルスケア業界は生成AIの活用において、新規ビジネスモデルの創出に向けた取り組みを進めているものの、実現の難易度の高さから導入や活用が停滞する傾向があるとされています[3]。そのため、小さな成功体験を積み重ねることが、長期的な成功への鍵となるのです。
医療分野も、人とAIの共創の時代
最後に社長から「AIが発達すると、人間の仕事はなくなるのでしょうか?」という質問がありました。これは多くの経営者が抱く不安でしょう。
私は「AIは人間の能力を拡張するものであり、代替するものではない」という考えをお伝えしました。特にヘルスケア分野では、技術がいくら発達しても、最終的な判断や患者とのコミュニケーションなど、人間にしかできない領域が必ず残ります。
WIRED.jpの記事によれば、医療分野のAIは『幻滅期』を経て新たな発展段階に入りつつあります[4]。慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章氏は現状の生成AIは一般公開情報に基づいた要約では優位性を示しているものの、医療のような「クローズドで体系化しにくい情報」を基にした判断については、LLM単体での進化には限界があることを指摘しています。
そこで注目されているのがSLMです。医療分野では「質の高い非公開データを囲い込みながら、より高度な局所的判断を可能にするSLM」の開発が進み、個別のSLMが全体を束ねるLLMと連携することで、AIと医療は新たな発展段階に進むことが期待されています。
SLMの大きな強みは2つあります。一つはデータプライバシーとセキュリティで、ローカル環境において実行でき、データをオンプレミスで扱えるため、高い専門性や機密性が求められる医療分野に最適です。
もう一つはハルシネーション(幻覚)の低減で、特定分野に絞った学習・トレーニングにより不要な情報を挟まずに処理を行えるため、医療のような正確性が求められる分野で特に重要となります。医療機器メーカーにとっては、製品に組み込みやすく高精度な判断支援を提供できる点が大きな魅力です。
医療機器メーカーにとっては、こうした特性を活かして、医師の臨床判断を支援し、患者と医療者の関係をより豊かにする製品開発が今後の大きな可能性として広がっています。
未来を見据えた一歩を踏み出す
テクノロジーの波は、乗りこなせば大きなチャンスになりますが、見過ごせば取り残されるリスクもあります。特にヘルスケア業界は、医療の質と効率を両立させる社会的使命があり、テクノロジー活用は避けて通れない道です。
Reinforz Insightの記事「AIとバイオテクノロジーがもたらす次世代医療革命:2025年の展望」によれば、2025年に向けてAIとバイオテクノロジーの融合による医療革命が進み、診断から治療、予防までの医療のあらゆる領域に変革をもたらすと予測されています。また、AIの導入によって医療費の削減や効率化が進み、パーソナライズされたケアの実現が期待されています[5]。
中小企業がこうした変革の波に乗るためには、自社の強みを明確にし、目的に合ったテクノロジーを選択的に取り入れる戦略が重要です。そして何より、失敗を恐れずに一歩を踏み出す勇気が必要です。
「失敗してもいいんです。重要なのは、何も始めないことより、小さなことからでも挑戦することです」。私の言葉に、社長は力強くうなずきました。
テクノロジーの導入は、単なる業務効率化ではなく、企業としての持続可能性を高める長期投資です。特にヘルスケア分野では、技術革新が人々の健康と幸福に直結するため、その社会的意義は計り知れません。
皆さんの会社でも、AIやデジタル技術の導入を検討されている方も多いと思います。「何から始めればいいのか分からない」という段階から一歩踏み出し、未来を切り拓くための挑戦を始めてみませんか?私たちヘルスケアビジネス総合研究所も、皆さんの挑戦をサポートしていきたいと考えています。
この記事が、皆さんのビジネスに新たな視点をもたらすきっかけになれば幸いです。
参考資料
[1] フィリップス公式サイト「2025年のヘルスケアテックトレンド Top 10」(2025年1月27日)https://www.philips.co.jp/a-w/about/news/archive/standard/about/blogs/healthcare/20250128-10-healthcare-technology-trends-for-2025.html
[2] 日本医療政策機構「2023年 日本の医療の満足度、および生成AIの医療応用に関する世論調査」(2024年1月11日) https://hgpi.org/research/hc-survey-2023.html
[3] PwC Japanグループ「ヘルスケア/病院/医薬/医療機器業界における活用動向 生成AIに関する実態調査2024春」 https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/thoughtleadership/generative-ai-survey2024-hia.html
[4] WIRED.jp「AIによる医療は幻滅期の先へ──特集「THE WORLD IN 2025」」(2024年12月12日)https://wired.jp/article/vol55-towards-a-better-co-being-beyond-the-singularity/
[5] Reinforz Insight「AIとバイオテクノロジーがもたらす次世代医療革命:2025年の展望」https://reinforz.co.jp/bizmedia/53778/